Sunday, December 18, 2016

心の余裕~ミャンマーの経験を通じて~

どうもジェンキです。ジェンキ、元気1/2倍です。お腹がやばいです。

バゴーで調査しました(もう何回目だ…)。そこで感じたことをば。日本とかミャンマーとか言っていますが全て僕の主観であり偏見です。というか僕自身の経験からしかモノを言っていません。お許しください。因むと内容重いです。

【心の余裕】
ミャンマーと日本は、結構似ているところがあると思います。違う部分もあるからこそより強調されて感じるのかもしれません。両国とも、思いやり、気遣いといった文化が根っこにあると感じます。

以下、日本とは首都圏近辺というイメージでお話しします(僕の視野の狭さによるものです。これは許さなくていいです。)。日本は、先進国というだけあり、正直物的な面ではミャンマーに劣っている部分はあまりないのではないかと思います。サービスも非常に充実しており、ニーズがあるからそれに応えるという段階は通り過ぎ、むしろニーズを積極的に生み出していかなければならないステージにいると思います。だから根幹の「生きる」という部分では困ることはないし、そういった根本的ニーズに関しては多少お金があれば満たされてしまう。だから他人がいなければ本当の意味で生きていけないという状況にはありません。

一方、ミャンマーはインフラ、衛生、学問、その他諸々の点で日本と比べるとどうしても秀でているとは言えません。特に僕の研究対象地の貧困層のような暮らしをしたいと思う日本人は一人もいないと思います。考えやすいので、敢えてミャンマーでも極端な貧困層を例にとってお話しします。彼らは、日頃から助け合わないと根本的な意味で生きていけません。だからこそ、コミュニティに対して日本人の感覚では想像できないほどの愛情を持っている人が多くいます。1m以上の洪水被害を毎年受けていても、その場所、人が好きだから移住なんてしたくない、という人が多くいるのです(もちろん早く移住したいわふざけんな派も多くいます)。この移住したくない派の考えは、実はとても大切なことを伝えてくれている気がします。彼らは、洪水という負の側面(個人的にこの部分はだいぶマイナス)を受け入れ、その上で目の前の1日だけを生きていく生活にすっかり満足しています。就活だったら即落ちですね。何が言いたいのか。彼らには心の余裕があるのです。日本人からしたらあり得ないことを含めて、受け入れている。

上述のように日本(というか多分先進国)はかなり恵まれています。でも、だからこそ簡単なことでは満足できない。新しいサービスはどんどん生まれてくるけど、出来てしまうことが多い分、その出来てしまうことが当たり前になってしまい、出来ないこと、恵まれていないことに目がいってしまう。だからこそそれを埋めようと努力するので、より恵まれた状態になるのでその点はいいのですが、満足はできない。つまり、心の余裕がなくなります。因みにこれは全部僕の話なので、一般論っぽくするな若造と思う方は経験の浅い僕に全力でタイキックをしてください。全部受け止めますが治療費は50%ほど払っていただけると幸いです。

だからと言って「じゃあお前そのミャンマーで学んできた心の広さを持てんのかおい」と聞かれれば間違いなく無理です。もうすでに日本の生活水準の高さを身をもって知ってしまっているからです。ただ、毎回ミャンマーに来るたびに何かヒントを得ている気がします。ミャンマーの貧困層は、前述の通り現状に満足する心の広さをもっています。これは何故か。ひとえに無知で、他人の目を気にしないからだと思います。というのは、高水準の生活を知らない、故に気にしないということです。だから、日本でも「ありのままの現状を受け入れる」ことができれば、心にゆとりが持てるのだと思います。

恵まれた日本で、しかも現代のようにすぐに他の人が目に入ってくる中で「無知」という形で心に余裕を持つことは不可能だと思います。僕は常に何か上を目指していけばいつか満足できるだろうと思ってきた節がありますが、考えれば考えるほどそのようなことはなく、もしかしたら一生満足できずに終わるかもしれない気もしています。それが頑張る原動力になるのでそれはそれでいい気もしますが、死ぬまでには心の余裕を持てる段階に至りたいとミャンマーでの経験を通じて思ったりもします。同時に上昇志向を持つなら現状に満足したら終わりな気もしますが。

大学院を通じて自分の軸のようなものが更に固まった気がします。川崎先生を始め、日本、ミャンマーでお世話になっている全ての方々に御礼申し上げます。

以上、くそ長いですが23歳独身大学院生の日記でした。


ジェンキ、ICSE受賞したってよ

皆さまミンガラバー。ジェンキです。

このたび、ICSE(International Conference of Science and Engineering)においてBest Paper and Presentation Awardを受賞させていただきましたのでここにご報告をさせていただきます。

正直まさか自分が表彰するとは夢にも思っていなくて、ひとりだけTシャツ一枚とチノパンで参加していたので名前が呼ばれたときにはかなり焦りました。ちなみに呼ばれたときは、やはりジェンキ・カワムラでした。表彰されると表彰台に上がるのですが、苦肉の策で川崎先生のジャケットを急遽貸していただき、一応なんとかなりました…周りの方々に爆笑されてしまいましたが、少しでも印象に残ったとポジティブに考えます。写真を見ると意外ときちんと撮れているので、ジャケットの威力を思い知りました。

ちなみに表彰式&閉会式は、前ミス・ミャンマーも登場するという形でパーティそのものでした。受賞に驚きを隠せず写真がないのですが、ラーレ(美しい)でした。ミャンマーという国の勢いを感じさせられます。

賞状の授与

盾の授与

受賞の前に仏陀に負けず劣らずお祈りをしたのが効いたのかもしれません。将来的に仏教徒あり得ますね。

お祈り

我らが川崎先生も受賞されていました。やはり凛々しいですね…写真の映り方教えていただきたいです。

川崎先生受賞の様子

真面目な話、僕の研究はミャンマー人の協力がなければ本当に何もできないものです。現地ではYTUの学生、先生方、バゴーの政府関係者の方に大変お世話になっています。そのような方々のご協力を得たうえでの研究をミャンマー現地で発表し、受賞に至ったということで一種の恩返しをできたのかなと感じています。また、このような機会を与えていただいているのはやはり川崎先生のお陰です。そういった全ての方々に支えられて、今回の受賞に至りました。なのでこの賞は僕の賞という感覚はあまりなくて、皆でとった賞だと思っています。

すぐに後述の記事で述べますが、修士二年の経験は自分の人生の大きな糧になっていると感じます。大学院に進学してよかったと心から思えます。これまで自分が与えられる側であり続けた分、どこかで与える側にならなければならないと強く思います。来年から社会に出る身として、学生生活を最後まで満喫しつつも覚悟を決めなければならないと考えています。

このたび、受賞に至るまでに関わってくださった全ての方々に深く感謝の意を申し上げるとともに、深く御礼申し上げます。

Wednesday, December 14, 2016

Land-use change projection paper

Following article was published recently and is free access until January 07, 2017.
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0304380016306639

Dang, A.N., Kawasaki, A. (2017) Integrating biophysical and socio-economic factors for land-use and land-cover change projection in agricultural economic regions. Ecological Modelling, 344C, 29-37.

Your comment and feedback are welcome!
Kawasaki



Sunday, December 11, 2016

ICSE2016

ミンガラバー。ご無沙汰しております。川崎研修士二年のムラこと川村元輝(ゲンキ)と申します。ミャンマーでは別名ジェンキと申します。ジェンガではございません。ほぼ一年ぶりのブログ更新となりますが、どうぞお付き合いくださいませ。

久しぶりのヤンゴン!ということで、とりあえずキャンパスの写真をば。なんというか、やはり南国感がありますね~。前は二か月間いたので帰ってきた感が強いです。

YTUのメインビルディング
さて、ミャンマーで国際学会があるということで、一年ぶりにヤンゴンの地に降り立っております。ここで復習をします。本ブログをお読みの方で私の研究テーマを覚えていらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか。覚えていらっしゃる方!おめでとうございます。もれなくジェンキ賞を授与いたします。さて()、私の研究テーマは「洪水と貧困の関係性~ミャンマーにおけるケーススタディ~」となっております。昨年度、汗水流してミャンマー人の多大なるご協力をもって得たデータを用いた結果をミャンマーで発表できるということで、勝手に感極まってしまいました。

今回は、ミャンマーについてからイベントの連続です。まずは、近年毎年ヤンゴンで開催されている東大同窓会なるものに参加させていただきました。なんとミャンマーの日本大使までお越しになるので大変光栄な場に参加させていただきました。

東大同窓会@ヤンゴン

ミャンマーの日本大使の方です!
さて、皆様が名刺交換をするのを横目に見ながら、このような場で挨拶をするのは社会人としては当然のしきたりなのだろうな~と思っていたらなんと!学生も自己紹介をすることになりました。このような場で挨拶するのは緊張しますね。ちなみにTシャツで来ていたのは僕一人だけでした。

挨拶の様子。きっと緊張のせいで顔が赤いのでしょう…
 翌日から、今回の滞在の主な目的である国際学会のスタートです!ミャンマー人は華やかな場が好きなので、開会セレモニーはまるでパーティのようでした。会場にはなんとテレビカメラも。インタビューを受けているのはYTU副学長のYu先生です。Yu先生には前回ミャンマーに来た際にも大変お世話になりました。

インタビューの様子。どこの局なのでしょうか。
そして…私も僭越ながら発表をさせていただきました。発表は英語ですが、日ごろのミーティングは全て英語のため、特に苦なく発表を終えることができました!修士の二年間に川崎研で鍛えられたと実感しました。
ちなみに1セッション中に4回ほど停電が起きました。電気って大事ですね。

暗いですが、発表の様子
発表した証明書をもらいました
これで三度目のミャンマー渡航で総滞在期間は二か月半ほどになりますが、このような機会を与えていただいた川崎先生には感謝の気持ちしかございません。川崎先生もきっちりと発表をしておられました。まさかの朝8時からの発表お疲れ様でした…。

川崎先生ご発表の様子
実はミャンマーに一人で滞在していると日本(&日本人)が恋しくなりがちなのですが、今回はSATREPSプロジェクト関係の方々が大勢いらっしゃっていることもあり、多くの方々とお会いできて非常に楽しいです。実は日本よりもミャンマーでお会いすることの方が多い方々も多くいらっしゃいます。さて飯食いに行くぞとお店に行けば、たまたまSATREPSプロジェクトの一環で北海道大学のメンバーと合流。初対面の方も多かったですがこういうのってとても楽しいですね。ということでパシャリ。

皆さんいいお顔
少し真面目な話ですが、ミャンマーにいると、人とのつながりの大切さを普段よりも強く感じます。先生方が懇親会などで業界、国を超えて交流していらっしゃる様子を見て、人はコミュニティの中で生きており、社会に出てからはその要素が非常に大きくなるのだと予感しております。よくある大学生の就活日記のようで大変失礼いたしました。

ミャンマー滞在中に実はもう一度現地調査を行おうと計画しております。その活動については次回のブログに掲載予定です。皆様も是非一度はミャンマーに!トアメーノ!

Thursday, December 1, 2016

普段の活動風景

はじめまして、B4のハガです。
6月から川崎グループでお世話になっています。

今回は久しぶりに、川崎グループで毎週行っているゼミの風景をおとどけします!

この日は、M1の祐也さんと研究員のRalphさんの2名が発表しました。まずは 祐谷さんから。


 彼は、9月から修士課程に入学し、この日は記念すべき初めての発表でした。修士課程で行うヤンゴンの土地利用変化の将来予測についての研究の全体像についての発表でした。フムフム。


発表の後は質疑応答の時間です。ズバズバ質問が飛んできます。


2人目はRalphさんです。そのフレンドリーな人柄でみんなから慕われています。御年30。
グループの多くの人がかかわっているミャンマーのバゴー川流域での、流量など水門情報の観測点設置についてのお話でした。
この建物はRalphさんが設計したとかしないとか。図を描いたのも彼です。ハイセンス。



みんなが熱心に話しに聞き入る中、ひとりパソコンとにらめっこを続けるM2の川村さん。難しい計算でもしているように見えます。ところが実際は航空券をとっていたとか。ちゃんととれたんでしょうねぇ(後で搭乗者の名前を間違ったことが判明……ダメですねえ)


週一回のグループミーティングはこのような感じで進んでいきます。毎回2人が発表し、長さは質疑応答含めて1人30分~40分ほどです。現在学生+研究員で8人いるので月に1回のペースで順番が回ってくる計算です。ペースメーカーとしてとても良い間隔です。

発表&質疑応答は原則すべて英語で、僕はまだ苦戦しています。ちなみに川崎グループにおいて日本人は半分だけで、海外を対象としている人も多数。とても国際的なグループなのです。うまくいけばミャンマーに長期滞在できます。

一年前、僕は河川研を熱烈に志望していたわけではありませんでしたが、先生方・先輩方のお話などを聞くうちに惹かれていきました。河川研にこんなに個性的な人たちが集まっているとは、当時は知る由もなし。
川崎先生の授業を取っていなかった僕ですがここに流れ着き、現在は苦戦しながらも卒業論文執筆に向け調査を進めているところです。

興味があるかたは是非ホームページもみてってください。
http://wci.t.u-tokyo.ac.jp/

ではまた!

Tuesday, November 29, 2016

WEB-DHM training course

お初にお目にかかります。
川崎研B4の安藤貴仁と申します。
本日は去る11/21(月)~11/25(金)に行われたWEB-DHMという水文モデルのtraining courseの模様をお知らせします。

WEB-DHMというのはWater Energy Budget - Distributed Hydrological Modelの略称で、その名の通り質量保存のみならず、エネルギー収支にも裏付けられたより正確な水文モデルとなっております。
©Wang, 2009

もちろんその分計算量は多くなり、かつては1つの流域の流量を求めるに100時間はかかったのだとか。。。
その中でも特に時間を要するのはデータの準備で、計算自体はC言語を用いれば安定しているので早いそう。(ま、そのC言語自体がわからない問題は別として(笑))

そこに白羽の矢を立てたのが我らが川崎先生! ArcGISの専門家である先生は、その計算ツールをくまなく用いて、算出時間をなんと約1/10も短縮してくださいました!

川崎先生講義の様子

で、そのデータ準備ツールがこちらで、数値標高データと土壌データさえ手に入れてしまえば、ツールに従ってWEB-DHMの計算に必要なデータがほとんど手に入ります!
WEB-DHM Toolbar

エネルギー収支計算ということで、他にも蒸発散量の計算に必要な長短波放射量等のデータをUCARのサイトからダウンロードする必要があるのですが、それらも用いて、慣れないC言語を少しいじって、できたハイドログラフがこちら!
ハイドログラフ

まだまだ較正・検証が必要ですが。。。

また、2日目にはこのモデルのコンセプトの発案者である小池先生がこのモデルの「心」というのを貴重な時間を割いて説明してくださいました。こういうモデルを使うときに、我々エンジニアはどうしても計算結果の正確さだけに目が行きがちですが、やはりその裏には製作者の「思い」があり、それを理解して研究に臨むのが、エンジニアの中でも人とかかわる機会の多い、civil engineerのあるべき姿勢なのかもしれませんね。
小池先生の講義

僕からはこんな感じです。まだまだツールに改善点があったりとか、氾濫モデルとの結合が難しかったりとか、問題点は山積みですが、とりあえずこのモデルを用いて卒論を書く以上、頑張ります。

Sunday, November 13, 2016

サマープログラム動画 Short film of summer program 2016

2016年7月25日〜8月5日、東京大学 社会基盤学専攻 水循環データ統融合の展開学寄附講座と水災害・リスクマネジメント国際センター(ICHARM)の共催で、サマープログラムを開催しました。世界中から水管理や災害リスク管理などについて学ぶ学生19名が集い、さまざまな講義やワークショップ、水関連施設の視察に参加しました。プログラムの内容や、参加した学生の声を動画でご覧下さい(5分56秒)。

The University of Tokyo and the International Centre for Water and Risk Management(ICHARM) organized an International Summer Program from 25 July through 5 August 2016. Please check the short film summarizing the 2016 program (5 min. 56 sec.).


また、日本人参加者2名(本学社会基盤学科学部3年)の感想も以下に公開しています。
http://kawasakilab.blogspot.jp/2016/08/summer-program-2016_13.html?m=0

http://kawasakilab.blogspot.jp/2016/08/summer-program-2016_23.html?m=0


2015年サマープログラムの動画は以下から閲覧できます(2分32秒)。
You can watch short film summarizing the 2015 program (2 min. 32 sec.).
https://youtu.be/ricdfhPs3RU


サマープログラムの詳細
Further Detail about the Summer Program
http://wci.t.u-tokyo.ac.jp/summer/





Sunday, October 16, 2016

ミャンマー調査のまとめ Part2

皆さん、こんにちは~
B3の三浦健です!

さて、ミャンマー研修も無事に終わったということで、、、
改めて全体を通しての感想を述べたいと思います!!!

まずは研修の概要ですね。

2016921日から25日の5日間、ミャンマーのヤンゴンとバゴー、その周辺を中心に、洪水被害に対する社会的脆弱性の程度を見るために、ヤンゴン工科大学の学生2名とともに住民や地方灌漑局、地方内務室(GAD:地域の争いの調停から相談事まで何でも担当する部署)に聞き取りを行い、バゴー川とシッタン川とを結ぶ水路の様子を見て回りました!

実際、GADにはすごい数の住民がたむろしてました。皆さん、相談に来ているのか、くつろぎに来ているのか、どちらかわからないくらい会話が盛り上がっているようでした。



図1:GADでのインタビューの様子
(僕らの後ろに多くの住民の方が懇談していた!)
社会的脆弱性とは?
災害に対する脆弱性の一つの要因に、社会的属性が挙げられます。所得階層の違いは定住環境の優劣をもたらし、低所得者は災害被害に遭遇しやすく災害後の立ち直りも不十分かつ長期化する傾向があります。

ということで、今回の目的をまとめますと、
ミャンマーで毎年発生している水災害をテーマに、住民や地方行政府への意識調査を通して、土手などのハードインフラの整備状況を確認すると同時に、それら社会的要因についての情報収集を行い、同時に、ヤンゴン工科大学の学生と交流を行うことでした!

実施内容をもう少し詳しく言うと、、
バゴーシッタン水路の護岸状況と川べりの定住状況を観察して、付近の貯水池の利用状況についても調査しました。また、住民へのアンケートを行い、水被害と生活に与える影響について定性的な分析を行いました!

図2:付近の貯水池(でかい~)
(乾季に備えて雨季にたくさん貯水するそうです。)

図3:水路からの光景
(向こう側は一面農地で雨季には一面が水になるらしい)

研修の成果!
今回研修に当たり、いくつかの社会的要因が災害脆弱性に影響を与えていることが定性的に再確認することができました。データ収集の方法を含めた定量的な情報収集には課題があり、現地政府の法整備と情報収集が期待されるなぁとも正直思いました。。。

現地住民への調査から、次のことが確実にわかりました!
①人々は洪水被害に慣れてしまっている
②道路の整備が不足し、特に洪水時には孤立しがちである
③道路から距離が離れ水災害が大きい場所ほど、土地単価は低下する傾向がある
④仏塔が災害時の避難場所および食料の貯蔵庫となっていることや、仏塔訪問時の寄付が地域の社会福祉に使用されていたり僧侶による地域貢献が行われているなど、仏教が地域と密接に関与し社会福祉を担っている


その他にも、所得や職業についての質問などを行いましたが、形式の都合上情報の信ぴょう性が欠けるかなと感じています。
所得などをほかの人がいる前で聞かれたり、突然聞かれたりしたら、中々正直に答えられないのが人の常ではないでしょうか。
社会学の調査は難しいですね。。。

私が個人的に得たものとは?                                 
ミャンマーは私が今まで訪れた国の中で最も興味深いと感じました。近年軍事政権から民主政権へ政権移譲を果たし、各国からの経済制裁が徐々に解除される中で、都心部は急激な経済発展を遂げていました。

こんな感じ、、

図4:ヤンゴン市内の様子
(めっちゃ建物が密集してる)


図5:ヤンゴン市内のデパート
(おぉー、めっちゃきれいで大きなデパート)
その一方で、郊外に行くと、昔ながらの高床式木造家屋に居住し、川水や雨水を生活用水として直接使用している光景や川で子供が遊ぶ光景を見ることができました。


図6:水遊びする子供たち
 地域ごとに街並みや人々の生活が大きく異なっている様子は、引率してくださった川崎先生が仰ったように、まさに日本の“明治維新”を連想させたからです。

さらに、タナカという伝統的な化粧やロンジー(男性用:パソー)という伝統的な着物、仏教を篤く進行している様子を日常生活の中で見ることができ、伝統的な文化を人々が大切にしているのを肌で感じ取ることができとても好感が持てました。

図7:シュエダゴン・パゴダ!
その是非はさておき、例えば、日本の着物などかつて生活に根付いていた習慣が近代化の過程で珍しくなったのを考えると、近代化しつつある今だからこそ、そのようなミャンマーの文化や生活に身近に触れることができたのかもしれません。

さらに、ヤンゴン工科大学の学生と議論する中で、ミャンマーについてより詳しく知ることができました。軍事政権から民主政権への転換によって、生活もより豊かに、自由になったと実感していることや、韓国のK-POPが若者の間で人気があることなど、話題はさまざまでした。親交を深められたことは将来の人脈という点でも貴重な経験になったと感じています。

図8:右側の二人が同行してくれたYTUの学生

個人的には、ミャンマーは中国、ルワンダの次に訪れた途上国です。途上国を訪れることの面白さは、多様な文化に触れることだけでなく、日本が今現在抱えている課題を解決するヒントを探すことにあると思っています。

欧米に追い付こうと近代化した日本にとって、欧米文化以外に属する国々には多くの潜在的発見があるはずです。

日本だけにいては気づきにくい価値観や制度、ビジネスを発掘し、何とか日本にも応用できないか、現在急速に発展し生活も大きく変化しつつあるミャンマーだからこそ見つけられるものがあると思います。これからも何度も訪問しその変化と発見を楽しみたいです!

See you, Myanmar~!

ミャンマー調査のまとめ Part1



こんにちは。
B3の檜垣です。

 921~926日にミャンマーに行ってきましたので、改めてこのブログでその報告をしたいと思います。




 
 まず、実施内容について
 今回の少人数セミナーで、At Riskという防災に関する本を輪読し、災害そして防災に対する世界的な考え方について学んできましたので、その少人数セミナーの一環として、ミャンマーの洪水常襲地域に行ってきました。ミャンマーのある地域で、洪水常襲地域からの移住計画が成功したという情報を得ていましたので、あらかじめ灌漑局と移住した住民を対象としたアンケートを作成し、その計画の詳細や住民の生活の変化などについて調べる予定でしたが、そもそもその計画自体なかったことを灌漑局で知らされました。そこで、大きく予定を変更し、主に洪水常襲地域の現状についてインタビューすることになりました。

インタビューの様子 その1

インタビューの様子 その2



 そもそもこの調査に参加した個人的な目的として2つのことを考えていました。

・事前に川崎先生が書いたものも含めて論文を5つ程読んだところ、現地の住民を対象にしたアンケートをベースにしたものが多かったので、実際どのようにアンケートをしているのかについて学ぶこと。
・洪水常襲地域に行くことも初めてだったので、直接自分の目で見たり、直接現地の人に聞いたりして、ありのままの現状を知ること。
村の中を見て回っている様子




 そして、今回の調査を通して得られたことには主に以下のことが挙げられます。


論文を読み自分なりに聞きたいことをまとめて予めアンケートを作成し、自分も含めてBの生徒3人分のアンケートを川崎先生がひとつのアンケートにまとめてくれました。実際、移住計画自体なかったので、そのアンケートを使うことはなかったのですが、アンケートでどのようなに聞くと良いのか学ぶことはできました。たとえば、現地の人に対し、移住を経て生活は改善されたかをyes ,noで回答してもらうよりも、以前の生活と比べて、今の生活はどうかについて居住環境、健康面、仕事など細かい項目に分けて、much better ,better ,no change ,worse ,much worseという5つの選択肢から選んでもらうほうが詳細なものが得られるということ。他にも、上記のような移住における生活の変化について質問を聞く前に、以前の生活についての質問に続いて今の生活についての質問をいくつかすることで、生活の変化について回答者が答えやすい環境を整えた方がいいこと。こういういことがアンケートの質に関わってくるんだなと感じることができました。実際にアンケートを行う時が来たら、ここで学んだことを生かしていきたいです。

 また、洪水常襲地域に行くことができ、発展途上国の貧困層を初めて目の当たりにしました。以前の洪水の水圧のせいで傾いている家や川のすぐそばの家、舗装のされてないガタガタな地面、そのなかでも力強く生きている人たちの様子を生で見ることができました。去年、電気が通り始めたばかり地域や不法な地域などに住んでいる人、それぞれの抱えている問題や不安に思っていることを直接聞くことができたのが良かったです。例えば、一番大きな問題として、洪水常襲地域に住んでいる人は、洪水そのものに加え洪水による浸水期間に収入がなくなることや学校が休みになることを問題視している人が多く、その一方で不法な地域に住んでいる人は、いつ立ち退きを要求されるかが分からないのが不安と思っている人が多かったです。世帯によっても異なるほどにいろいろな問題が混在していることを再確認することができました。
川のすぐそばの家 その1

川のすぐそば(川の中)の家 その2





 さらには、ミャンマー滞在期間の間、ヤンゴン工科大学の学生との交流も深められたと思います。彼らはビルマ語の通訳をしてくれ調査を助けてくれました。英語表記がないところでもいろいろ解説してくれました。そのおかげで、ミャンマーでなに不自由なく過ごすことができただけでなく、ミャンマーの文化の一面も学ぶことができたと思います。
一緒にパゴダに行った時の様子
  この調査を通して、非常に貴重な経験ができました。その機会を与えてくださった川崎先生に感謝しています。また、このような機会があったら、参加したいです。

Wednesday, October 12, 2016

第二弾ミャンマー滞在Part3

こんにちは、ヨネシンです。
いよいよミャンマー生活も後半です。

異文化の中で生活していると、アレ?と思うことが多々あります。

ミャンマー語でミンガラバーとは「こんにちは」の意味です。ですが、これは主に公の場であったり、外国人相手に使います。では、地元の人はどう挨拶するのかというと、
「ネェーカウンラー?(元気?)」とか、
「サーピィービーラー?(もう食べた?)」とよく言います。

例えば我々の感覚では、

「ご飯食べた?」
「まだや」
「これから食べへん?」

っていう流れが自然かと思います。
ですが、こちらでよくあるのがこんな会話です。
「飯食った?」
「まだや」
「ほー、そうかそうか」
「・・・で、自分は?」
「あ、さっき食堂で食べたわ」

うーん。。。こういう些細な噛み合わなさでストレスが溜まりがちですが、とにかく気にしないことが大切だと思います。



さてさて、調査のことも書きます。写真ほとんどありません。すみません。

今回の滞在では地価(ミェィーグェゼィー)を調査しているのでした。

公示地価データの存在は確認したものの入手が難しそうなので、実勢価格を調べる方向にシフトしようとしていました。

ですが、不動産業者に聞く際にも問題点がいくつかあります。
・売りに出されている土地しかわからないので市内全体をカバーできない
・土地のみであったり、建物を含んでいたり、比較が困難
・価格を誇張している可能性がある
・仕事が遅い(笑)

以上のような問題を踏まえると、何とかして公示地価を入手する方が研究材料としては良いのではないかと考え直しました。

役所が持っているデータを入手するには、公式な手続きを踏まねばなりません。すなわち、オフィシャルな文書を送付し、返事を待たなければなりません。
まぁ、簡単に済むだろうと思っていましたが、そう甘くはありません。

まず、一番肝心なのは「書類をどこの誰に送るか」です。
今回のケースでは、前例が無いということもあるでしょうが、「バゴー地方域の首相(=知事)」に出せと指示されました。

というわけで、「誰に」送るかは特定できました。

続いて、以下のようなステップを踏みました
・文面を英語で書く
・学生にミャンマー語に翻訳してもらう
・先生1のサインをもらう
・先生1から先生2への依頼状を用意する
・先生2がチェック
・先生1と先生2が議論
・結果、なんと「却下」

地方域(Region)の首長クラスになるとハイレベルすぎて無理だとか。
ダメと言われればそれまでです。

かといって、せっかくミャンマーまで来て引き下がるわけにはいきません。

話の続きは次回でお願いします!






第二弾ミャンマー滞在Part3

こんにちは、ヨネシンです。
いよいよミャンマー生活も後半です。

異文化の中で生活していると、アレ?と思うことが多々あります。

ミャンマー語でミンガラバーとは「こんにちは」の意味です。ですが、これは主に公の場であったり、外国人相手に使います。では、地元の人はどう挨拶するのかというと、
「ネェーカウンラー?(元気?)」とか、
「サーピィービーラー?(もう食べた?)」とよく言います。

例えば我々の感覚では、

「ご飯食べた?」
「まだや」
「これから食べへん?」

っていう流れが自然かと思います。
ですが、こちらでよくあるのがこんな会話です。
「飯食った?」
「まだや」
「ほー、そうかそうか」
「・・・で、自分は?」
「あ、さっき食堂で食べたわ」

うーん。。。こういう些細な噛み合わなさでストレスが溜まりがちですが、とにかく気にしないことが大切だと思います。



さてさて、調査のことも書きます。写真ほとんどありません。すみません。

今回の滞在では地価(ミィーグエッゼー)を調査しているのでした。

公示地価データの存在は確認したものの入手が難しそうなので、実勢価格を調べる方向にシフトしようとしていました。

ですが、不動産業者に聞く際にも問題点がいくつかあります。
・売りに出されている土地しかわからないので市内全体をカバーできない
・土地のみであったり、建物を含んでいたり、比較が困難
・価格を誇張している可能性がある
・仕事が遅い(笑)

以上のような問題を踏まえると、何とかして公示地価を入手する方が研究材料としては良いのではないかと考え直しました。

役所が持っているデータを入手するには、公式な手続きを踏まねばなりません。すなわち、オフィシャルな文書を送付し、返事を待たなければなりません。
まぁ、簡単に済むだろうと思っていましたが、そう甘くはありません。

まず、一番肝心なのは「書類をどこの誰に送るか」です。
例えば「○○局のバゴー事務所」にあるデータが欲しければ、「ネピドーの○○局長」(DG:Director General)に送るのが普通のようです。

ですが今回のケースでは、前例が無いということもあるでしょうが、「バゴー地方域の首相(=知事)」に出せと指示されました。

というわけで、「誰に」送るかは特定できました。
今回は、こちらの大学サイドから送ってもらおうと試みました。
以下のようなステップを踏みました
・文面を英語で書く
・学生にミャンマー語に翻訳してもらう
・先生1のサインをもらう
・先生1から先生2への依頼状を用意する
・先生2がチェック
・先生1と先生2が議論
・結果、なんと「却下」

これには絶望しました。箇条書きにするとスッキリしてますが、それぞれの段階でかなり時間がかかるので・・・。

かといって、ここで引き下がるわけにはいきません。どうすれば入手できるのか!?


続きは次回でお願いします!






第二弾ミャンマー滞在Part2 & 少人数セミナー ミャンマー4日目(9/25)

ミンガラーバー、ヨネシンです。
まだまだミャンマーしてます。今回は、22日〜25日に行われた現地調査の最終日について書いていきます。

ところで、便利な言葉「ヤーバーデー」というのがあります。
こんな時に使えます↓
「ありがとう」→「ヤーバーデー」
「ごめんなさい」→「ヤーバーデー」
「大丈夫ですか」→「ヤーバーデー」
「これやってもらえますか」→「ヤーバーデー」
などなど・・・。大丈夫という意味ですが、必ずしも大丈夫じゃないのがポイントで、日本人の感覚にも通じるところがあるような・・・笑


さてさて、この日も色々行きました。
まずヤンゴン川の南の対岸のDala地区へ。
JICAが都市マスタープランの一環で整備した渡し舟で渡ります。日本人ということでチケット代を無料にしてもらえました。ささやかですが、ODAの恩恵でしょうか。


Dalaではサイカーを利用して周遊することと致しました。
サイカーで巡る
YangonとDalaの間には韓国政府による橋梁建設が計画されていて(参考)、Dalaの地価は上昇中とか。
Fisherman villageに案内されました。
写真ではここに川がありますが、乾季には完全に干上がるようです。特に、Dalaは水不足に悩まされることで知られているようです。


漁師村 
たくましい少年
この時、4台のサイカーを借りて回っていたのですが、川崎先生だけ別ルートを通ることがしばしばありました。
川崎先生の運転手(兄)と他の運転手(弟)が、どこを回るかで口論していたようです。

川崎先生、転職!?
 帰ってきてからも、先生が渡したチップを左の兄が独り占めしたことで大喧嘩・・・笑


ドライバー、口論
 平和な村でした!

韓国料理屋で皆で昼食をとりました。キムチチャーハンのようなもので、とても美味しかった。ここでスコールが降り、しばらくやり過ごしました。

韓国レストランYOOGANE
午後は、Hlaingthaya地区に向かいました。ここはヤンゴンの中でも貧困層が多いことで知られ、その実態の調査を行いました。
最初は少々危ないかもしれないと身構えていましたが、思いのほか住民もフレンドリーで興味深い話が聞けました。
集落へ向かう
この地区では目立った洪水被害は無いようですが、ほとんどの家が水面の上に建てられており、不法に占拠しています。
数年前に住民が急増した理由として、近隣に工場がたくさん建てられた点があります。工場で働く労働者とその家族が集まり、結果として利便性が高いところに不法に住み着いたようです。
あるいは2008年のサイクロンナルギスもまた原因でもあります。エーヤワディー川河口のデルタ地帯で住居、財産を失った人々がヤンゴンに流れ着いた背景もあるようです。
インタビュー1
この一帯に最初から住んでいるという家族もいました。最初は親戚と一緒に移ってきたようです。 生活は厳しいそうです。
インタビュー2
 また、もう一人最初から住んでいるという人がいました。男性は地区のリーダーを任されており、時々行政と話し合いが持たれているようです。トラブルが発生した時に対処するのが仕事らしいですが、特に大きなことは起こらないそうです。
インタビュー3

この後は、塩澤くんを残して皆さん日本に帰って行きました。


ミャンマーを一度だけでなく何度か訪れると、その変化スピードの速さを時間軸を伴って感じられます。また、格差が拡大していることも感じます。

また、バゴーでの洪水も、この地区でのサイクロンの話も共通していますが、自然災害が貧困にも影響を与えていることも事実ではないでしょうか。

防災は意義深いですね。



それではまた次回!






Tuesday, October 11, 2016

少人数セミナー ミャンマー3日目(9/24)

今日は、ミャンマー研修3日目!(9月24日)ということで
工学部社会基盤学科3年三浦健がお届けします。

バゴーからタナピンを通過し、南東部の農村地帯にあるアレワァ村に向かいます。
位置関係はこんな感じです。

図1:バゴーからアレワァ村までのルート(灰色)

早速村長さんにご挨拶。ついでに色々とお話を聞くことができました!
机の奥に座っているのが現村長さんです。
その後ろには村民の方が座っています。この後村民同士の話し合いがあるようです。
図2:村長さんにインタビュー

村はこんな感じでした!
図3:村の入り口付近の様子(道が広い)

図4:村の入り口からさらに奥まったところ
(水が張っていて道も狭い)

アレワァ村はバゴー川とシッタン側に挟まれている洪水地帯に位置していて、洪水時の高さは1997年には1~2mほどになったとのこと。洪水発生時には畑と村の全戸建てが浸水し、浸水期間は1か月ほどになるため雨季には畑を耕すことが難しいそうです。

図5:調査の様子

これは、食糧の貯蔵庫のようです。
高床式で洪水時の対策や獣害にも備えているのでしょうか。
村民3558人の中で夏には100戸のうち10戸の割合で収穫物を保管しているようです。
来年に向けて貯蔵をしている人は少数派のようですね。
図6:穀物の貯蔵庫

びっくりすることにアンテナを張ってるところもありました!
ここにも電波は届いているのですね!
2015年に電線から電気が利用でき始めたとのことで、
テレビやラジオが日々の楽しみになっているようです。
図7:アンテナがある家を発見!?

こちらは共同の貯水池のようです。近所の人はこんな感じで雨水をためて生活用水として使っているのですね。
水をすくって沈殿させたものを直接飲み水として使っているようです。
純水の寄付のあるほど乾季には深刻な水不足になるところもあり、
地下水の湧水もほとんどないので、全部で13個の貯水池に雨季にできるだけ多くの水を貯めているようです。

図8:貯水池の水を利用するおじいさん

こんな風に豚などの家畜も放し飼いされています。
人によっては、農業以外にも家畜の飼育をしているんですね。
豚以外にも、魚やえび、カモの養殖としてビジネスを行う人が増え、最近土地単価が上昇しているそうです。家畜の飼育は農業を営む以上に多くの利益がでるみたいですね。

図9:放し飼いされている豚

なんとこんな立派な鉄格子があるお家もありました!
かなり裕福な人なのかもしれません。
奥にある家も漆喰で綺麗に塗られていますし、非常に現代的な造りに見えます。

図10:鉄格子付きの立派な家
(周囲が農村だけに、ちょっと違和感あるなぁ)

もう少し奥にまで来ると、雨期の終わりなので、かなり水が張っていました。
右に見えるのはお寺のようですね。
左手の木造りのボートにモーターを付けたもので移動しているようです。
水が張っているこのような場所には車が入れないし人の移動も不自由なので、
道路の整備が必要だと言っていました。

実は交通のしやすさは地価の差にも表れていて、村の玄関口の
主要道路の近くでは4050Lks/1acre20Lks/1feet)の一方で、
奥まったところでは25-30Lks/acre(7Lks/feet)と半分ほどになるようです。

図11:奥まったところの光景
(右側でサッカーを楽しんでいる少年に遭遇!)
これは道の傍で浸食が起きている場所です。
度重なる降雨で土造りの道も削れてしまったのですね。
横にある木は何とか浸食を和らげようと置かれたものとのことです。

図12:土壌浸食の様子
(道路は整備しないと簡単に壊れてしまいますね。。)
これは学校です。ほかの村からも子供はやってくるとのこと!
先生や教材も十分ある、とのことでした。どれだけ本当なのかな?笑
洪水中は学校が閉鎖することもあるようです。

また、学校はあるようですが、病院がなく病気の時には北部のタナピンやバゴー、6mile南に離れたオンネ村までバスやモーターバイク、緊急時には救急車で向かわなければいけないそうです。

図13:村の学校

村の多くの人はまだこのような木造の家に住んでいます。
中に入れば家具もあり、中々快適なようにも見えます。

図14:村の家々

ソーラーパネルが置いてありました!
何とか電気を利用としているのかもしれません。
電気の発送電が不安定なので、一日に何回か電線からの電気は途切れてしまうそう。
夜でも明るいのはヤンゴンなどの大都市付近くらいとか。
図15:ソーラーパネルを発見!?


現地の子供ですね!
他にも川遊びしている子供の笑い声がどこからか聞こえてきてとても微笑ましい光景でした!
図16:水遊びする子供たち

やっとお昼御飯です!
豚や牛、魚などいろんな種類のたんぱく源がありましたが、
なんと下から2番目のはネズミだそうです。(見た目ではあまりわかりませんでした)
人生初のネズミの試食に挑戦!、と意気込んで食べてみましたが、
予想と違って臭みもないし肉もちゃんとついてるしと意外とおいしかったです!
調理方法が良いのかもしれません。

図17:昼食
(右から二つ目はネズミでした!)

さてアレワァ村とはもうお別れです。

僕らは南側からヤンゴンに向かいます。


図18:ヤンゴンまでのルート(灰色)

こちらは少し南側の風景。見渡す限りの耕作地ですね。
アレワァ村でも害虫駆除や、肥料や機器の整備にかかる費用が大変と言っていました。
カモの飼育による害虫駆除や、機械を使用した大規模な農業など、
収穫を増やすために苦労しながらも様々な工夫をしているのですね。

ちなみにこちらが農民の年間仕事スケジュールです。
<年間スケジュール>
114月 乾季 小規模漁業、農業
610月 雨季
 67月 小規模な漁業や家畜の飼育、養殖。工場への出稼ぎ。
910月 収穫後雑草取りを行う

図19:道中の農地
(かなり集約的な農業を営んでいるように見えます。)




また、こんな感じの大型バスも通り抜けています。
日本の中古車が走行してたりして、ちょっと変な気分でした。

ぎっしりと人が乗っていて、バスの需要は高いようです。
図20:ヤンゴン方面へと向かう大型バス

こんな感じで荷台を改造したような車もよく走っていて、

人が乗っていました!こちらも乗り合いタクシーなのかもしれません。
図21:乗り合いタクシー?

こちちはヤンゴン市内の踏切です。周遊鉄道がヤンゴン市内には通っていて、
今後ネーピードー方面にも整備をしていくようです。
図22:ヤンゴン市内の踏切
(市内には環状鉄道が走っていますが、振動が激しいようです。)

ヤンゴン付近になると立派な家が増えてきました!
あまり洪水もないのか、高床になっていませんね。
図23:ヤンゴン近くの家


これはヤンゴン川ですね。とっても大きいです。。。

図24:ヤンゴン川
(でかーい!)



川の両岸ともヤンゴン市内の様子です。
建物が密集していて郊外の田園風景とは大きく違いますね。
以下ヤンゴン市内の様子を少しだけ紹介します。

図25:ヤンゴン市内の様子
(めっちゃ建物が密集してますね、、)

こんな西欧的な建物もホテル近くにありました。
図26:西洋風の建築
(イギリス植民地時代の様式を真似てるのでしょうか?)


シュエダゴンパゴダという大規模なお寺に行くことができました!
何十メートルもある仏塔が空に映えています。
とても壮大な建築です。
現地の人も熱心に祈っている方がいて、仏教が厚く信仰されているのをまじかで見ることができました。
仏教の他にも多くの人が土俗精霊信仰の“ナット”(僕にはそう聞こえました)というのも信仰しているそうです。
図27:シュエダゴン・パゴダ
また公園もいくつか整備がされています。
道路は車で混雑していて排ガス臭いですが、ここはとても気持ちの良い場所です。
図28:近くの公園


ここは現地のコンビニです!
あまり見かけることはなかったのですが、こちらにもあるんですね!
図29:ダウンタウンにあったコンビニ!?

こちらはシャングリラホテル。一泊数万円するようです。
ヤンゴンでもっとも発展している一等地に位置してるだけのことはあります。
図29:シャングリラホテル
(いつか泊まってみた~い)


今日は都心部ヤンゴンと郊外アレワァ村、という人々の生活の様子が全く異なるミャンマーの2つの側面をみることができました。特に都心部の発展には目を見張るものがありました。数年後には郊外にも発展が進み今以上に人々の生活が変わっていくのかもしれません。今後のミャンマーの行く末が楽しみです。