Saturday, September 22, 2018

野坂昭如、土木工学科との不思議なご縁


 今年1月、「高橋裕先生の卆寿をお祝いする会」が如水会館にて開催され、私も参加させていただきました。それに合わせて、高橋先生への思い出を冊子体として取りまとめることになりましたので、僭越ながら私も以下の文章を寄稿させていただきました。


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東京大学・社会基盤学科 川崎昭如

 2015518日、高橋裕先生の日本国際賞受賞の記念講演会・祝賀会が一ツ橋の日本教育会館で開催されました。私はその日、高橋先生をお出迎えするため、等々力のご自宅をお伺いし、ご自宅の穴太積みの石垣と雨水貯留システムを高橋先生直々にご紹介いただいた後、タクシーに同乗し会場に向かいました。

穴太積みの石垣
 私はその時初めて高橋先生にお会いしましたため、タクシー車内で高橋先生から私の名前の由来を聞かれ、「私の父が作家・作詞家の野坂昭如(あきゆき)のファンだったので。」と回答したところ、「彼の父の野坂相如(すけゆき)は、東京帝国大学工学部土木工学科の大正12年の卒業生で、卒業後は東京の地下鉄建設計画や横浜の都市計画に従事した後、富山県の土木課長、新潟県の土木部長を務めた立派な土木技術者ですよ。その後、新潟県で技官として全国初の副知事になり、県知事選挙にも立候補しました(落選)。」と教えてくださりました。

 その数日後、闘病のため入院していた私の父に、高橋先生から教わったことを伝えたところ、「(えっ、本当?そうなんだ)」と言わんばかりの驚きの表情を見せ、その後、とても喜んだ顔をしていました。

 3週間後の610日、私の父は亡くなりました。野坂相如氏のことを父に伝えたとき、父は喉を摘出しており、かつ文字を書くのが難しい状態だったので、何を思ったかは分かりませんが、自分の息子が野坂昭如氏の父親が卒業した学科の教員になったという不思議な縁に、大きな喜びを感じていたことと思います。その時の満足げな父の表情は、今も私の脳裏に残っております。

 高橋先生の土木技術者に対する広大で深い知識と抜群の記憶力のお陰で、私自身が知らなかった自らの名前の由来である野坂昭如氏とその父の相如氏、そして東大土木工学科とのご縁を知ることができ、それを生前の父に伝えることができました。心から御礼を申し上げます。

 私の個人的な話に終始してしまい恐縮ですが、高橋裕先生におきましては、卒寿おめでとうございます。まだまだ高橋先生から教えていただきこと、ご指導いただきたいことが沢山あります。高橋先生の引き続きのご活躍とご健康を心からお祈り申し上げます。
高橋裕先生と(2015年5月撮影)。





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